テレビ ― 2012年01月02日 14時55分20秒
エコポイント狙いで一昨年の11月に購入手続きして、生産の順番待ちで昨年1月に我が家へやってきた液晶テレビ。あの頃、世間の家電評論家達の、今が一番の買い時です、みたいな押せ押せムードにアホみたいに乗っかってしまった。その機種は今でもカタログにあるが、価格は当然に下落。焦って買ったわけではないものの、待たされた時間を含め、賢い買い物ではなかったと反省。
っていうか、液晶はだめだな。安い機種だったからか。で、フルハイビジョンではないし。
暮れも押し迫って、あるサイトで最安で買えるプラズマ・フルハイビジョンテレビのレビューが目に付き、一年前にはあり得ない低価格に、すっかりその気になってしまった。
というわけで、元旦の昨日、より有利な何かをも期待してヨドバシカメラの初売りに参じた。
店舗の販売価格は、事前に調べた額を大幅に上回っていたため、店員にその旨告げる。裏でヨドバシドットコムの価格を調べると、確かに仰るとおり、ということでネット価格にしてくれた。商談や値引き交渉が大の苦手だけど、心づもりの値段なら別に問題ない。初売りらしい大サービスはなかったけれど十分だ。
そして今朝、発注から18時間後という早業で、すでにマイ・ベッドルームのAVシステムは、すっかり心機一転した。VHS、ベータ、8mmなどの古くからある録画機を全て取り払い、相互録画のためのチャンネルセレクターや、アンテナブースターなども始末した。契約を切ったスカパーのチューナーも撤去、スピーカーは、最近使っていないPA用のモニターを運び込んだ。そして1年弱しか使っていない液晶TVには早くも退役してもらった。
このプラズマテレビは、ガラスの反射が大きく、画面が暗いと、視聴する自分の姿がありありと映り込んでものすごく居心地が悪い。遮光カーテンを引き、部屋をぐっと暗くしないと恥ずかしい。しかしそれを除けば、期待通りに臨場感のある映像を見せてくれる。8インチウーハーのスピーカーからはTOTOのライブに参加するLeland SklarのDingwallが、ものすごく生々しく響いて気持ちいい。とりあえず大成功だ。
映画を観ると、画がきれいなだけに、シアターでの体感が記憶にあるためだろう、音の包まれ感が欲しくなる。AVアンプなるものとは無縁に思っていたが、その存在意義は身をもって理解した。もちろんこの辺で留めて、これ以上の贅沢はしないけど。
Blu-rayはもちろんだけど、DVDも結構綺麗に映してくれて、ライブラリーを次々ロードしてしまう。引き籠もりの正月休みとなりそう。
っていうか、液晶はだめだな。安い機種だったからか。で、フルハイビジョンではないし。
暮れも押し迫って、あるサイトで最安で買えるプラズマ・フルハイビジョンテレビのレビューが目に付き、一年前にはあり得ない低価格に、すっかりその気になってしまった。
というわけで、元旦の昨日、より有利な何かをも期待してヨドバシカメラの初売りに参じた。
店舗の販売価格は、事前に調べた額を大幅に上回っていたため、店員にその旨告げる。裏でヨドバシドットコムの価格を調べると、確かに仰るとおり、ということでネット価格にしてくれた。商談や値引き交渉が大の苦手だけど、心づもりの値段なら別に問題ない。初売りらしい大サービスはなかったけれど十分だ。
そして今朝、発注から18時間後という早業で、すでにマイ・ベッドルームのAVシステムは、すっかり心機一転した。VHS、ベータ、8mmなどの古くからある録画機を全て取り払い、相互録画のためのチャンネルセレクターや、アンテナブースターなども始末した。契約を切ったスカパーのチューナーも撤去、スピーカーは、最近使っていないPA用のモニターを運び込んだ。そして1年弱しか使っていない液晶TVには早くも退役してもらった。
このプラズマテレビは、ガラスの反射が大きく、画面が暗いと、視聴する自分の姿がありありと映り込んでものすごく居心地が悪い。遮光カーテンを引き、部屋をぐっと暗くしないと恥ずかしい。しかしそれを除けば、期待通りに臨場感のある映像を見せてくれる。8インチウーハーのスピーカーからはTOTOのライブに参加するLeland SklarのDingwallが、ものすごく生々しく響いて気持ちいい。とりあえず大成功だ。
映画を観ると、画がきれいなだけに、シアターでの体感が記憶にあるためだろう、音の包まれ感が欲しくなる。AVアンプなるものとは無縁に思っていたが、その存在意義は身をもって理解した。もちろんこの辺で留めて、これ以上の贅沢はしないけど。
Blu-rayはもちろんだけど、DVDも結構綺麗に映してくれて、ライブラリーを次々ロードしてしまう。引き籠もりの正月休みとなりそう。
元旦の夕方 ― 2012年01月01日 18時32分40秒
みなさま、あけましておめでとうございます。
2012年になり、ぐるっと4週目の辰年を迎えました。
ぼく自信が、もうとっくにビンテージの域に達してるもようです。
子供の頃、夢を見るのは自由でした。
憧れるものに、自分もなりたいと願い、それに飽きたら、今度は別の何かに未来の自分を投影する。
いつでも自由に路線変更可能な時代でした。
ところがそれでは置いて行かれるのですね。
早くに、道を決めて、脇目もふらずに歩いた人が遠くに行ける。
そうでない人は、同じ距離を歩いたくせに、まだそこら辺をうろうろしている。
凡庸な才覚しか持ち合わせないために、幸か不幸か、そんなモラトリアムをいまだに引き延ばしている自分に気付きます。
自分が何をしたいのか、もちろんやりたいことはたくさんあるのだけれど、究極のひとつを選んで、没頭し邁進する何かを見つけられないまま日々を過ごしております。
高校生や大学生や勤め人だった頃の焦っている感覚から、実を言うと、まだ抜け出せていないのです。
いったい幾つになったら、何かになりたい自分とおさらばできるのでしょう。
まだ、ばかげた夢が、頭の隅に居座っています。
こういうのは、人間の宿命なのでしょうか。
追い求めて、つかめる日は来るのでしょうか。
まだまだわからないことばかりです。
というわけで、やっぱり老成とはほど遠い、いまだに若輩者であることに考えが至ったところで、ふたたび自分の立ち位置へ戻ることにします。
今年一年も、相変わらず、そのときにやりたいと感じるものに携わる日々を送ることでしょう。
みなさまにとりましても、希望の持てる1年となりますことを心からお祈りいたします。
よろしくお願いいたします。頑張って参りましょう。
2012年になり、ぐるっと4週目の辰年を迎えました。
ぼく自信が、もうとっくにビンテージの域に達してるもようです。
子供の頃、夢を見るのは自由でした。
憧れるものに、自分もなりたいと願い、それに飽きたら、今度は別の何かに未来の自分を投影する。
いつでも自由に路線変更可能な時代でした。
ところがそれでは置いて行かれるのですね。
早くに、道を決めて、脇目もふらずに歩いた人が遠くに行ける。
そうでない人は、同じ距離を歩いたくせに、まだそこら辺をうろうろしている。
凡庸な才覚しか持ち合わせないために、幸か不幸か、そんなモラトリアムをいまだに引き延ばしている自分に気付きます。
自分が何をしたいのか、もちろんやりたいことはたくさんあるのだけれど、究極のひとつを選んで、没頭し邁進する何かを見つけられないまま日々を過ごしております。
高校生や大学生や勤め人だった頃の焦っている感覚から、実を言うと、まだ抜け出せていないのです。
いったい幾つになったら、何かになりたい自分とおさらばできるのでしょう。
まだ、ばかげた夢が、頭の隅に居座っています。
こういうのは、人間の宿命なのでしょうか。
追い求めて、つかめる日は来るのでしょうか。
まだまだわからないことばかりです。
というわけで、やっぱり老成とはほど遠い、いまだに若輩者であることに考えが至ったところで、ふたたび自分の立ち位置へ戻ることにします。
今年一年も、相変わらず、そのときにやりたいと感じるものに携わる日々を送ることでしょう。
みなさまにとりましても、希望の持てる1年となりますことを心からお祈りいたします。
よろしくお願いいたします。頑張って参りましょう。
おしまい ― 2011年12月31日 02時30分44秒
昨日今日(29&30)と、演奏の仕事で今年を締めくくったのだが、それに先んじて若干のモディファイを施したので記録しておく。
本体ではないが、まずMoodyストラップを購入した。トップがラベンダー(淡い紫)、バックがクリームで、美しさと使用感の良さにとても満足している。Rogueシェイプの素晴らしきことの一つは、座奏と立奏でストラップ長の調整が必要ないことだが、通常なら簡単に長さ調整が可能なKen Smithストラップしか使えないところが、格段に選択の自由が広がった。
そしてHipshot Xtender keyを取り付けた際に増加した重量を取り戻すために、それまでのGotoh GB70を、Xtenderも含め、全てHipshotのUltra Lightに交換した。重複するGotoh仕様のXtenderが無駄になってしまったが、結果的に軽量化と適切な重量バランスが得られて、こちらも大変満足している。
音色は高域に向かってレンジが広がったような気がするが、これはチューニングキーの交換だけによるものかは不明だ。弦を、漸く届いたAlembic純正のものに張り替えたからだ。
弦ですらAlembic価格となり、非常識に高値ではあるものの、申し訳ないが、ニッケルで唯一認めうる音質であるだけでなく、個人的に世界一好きな弦でもある。テンションが、それまでに使用していたR. Coccoのステンレスよりもだいぶきつく、それまで順ぞりでも気にならなかったのに、大分左手が厳しくなった。むろんロッドの調整でローアクション方向へ締めればなんら問題はないけれど。
この楽器をさらに軽量化する方法としては、ブラスのサスティンブロックをエボニーなどに交換する手があるけれど、そこまでする必要は感じなくなるまでに、十分な対策はできたと思う。モディファイはこれでおしまいだ。
超円高のうちに、あと3種のビックス(Alembics)を発注したいなぁと妄想しつつ、今年を閉じていきたい。
みなさん、お世話になりました。
来る1年も、変わらずよろしくお願いいたします!
happy new year!!
本体ではないが、まずMoodyストラップを購入した。トップがラベンダー(淡い紫)、バックがクリームで、美しさと使用感の良さにとても満足している。Rogueシェイプの素晴らしきことの一つは、座奏と立奏でストラップ長の調整が必要ないことだが、通常なら簡単に長さ調整が可能なKen Smithストラップしか使えないところが、格段に選択の自由が広がった。
そしてHipshot Xtender keyを取り付けた際に増加した重量を取り戻すために、それまでのGotoh GB70を、Xtenderも含め、全てHipshotのUltra Lightに交換した。重複するGotoh仕様のXtenderが無駄になってしまったが、結果的に軽量化と適切な重量バランスが得られて、こちらも大変満足している。
音色は高域に向かってレンジが広がったような気がするが、これはチューニングキーの交換だけによるものかは不明だ。弦を、漸く届いたAlembic純正のものに張り替えたからだ。
弦ですらAlembic価格となり、非常識に高値ではあるものの、申し訳ないが、ニッケルで唯一認めうる音質であるだけでなく、個人的に世界一好きな弦でもある。テンションが、それまでに使用していたR. Coccoのステンレスよりもだいぶきつく、それまで順ぞりでも気にならなかったのに、大分左手が厳しくなった。むろんロッドの調整でローアクション方向へ締めればなんら問題はないけれど。
この楽器をさらに軽量化する方法としては、ブラスのサスティンブロックをエボニーなどに交換する手があるけれど、そこまでする必要は感じなくなるまでに、十分な対策はできたと思う。モディファイはこれでおしまいだ。
超円高のうちに、あと3種のビックス(Alembics)を発注したいなぁと妄想しつつ、今年を閉じていきたい。
みなさん、お世話になりました。
来る1年も、変わらずよろしくお願いいたします!
happy new year!!
ひっくりかえしました ― 2011年12月26日 02時59分20秒
前回の更新からあっという間に一週間が経ってしまいました。
先週の土日を仕事で共にした方と今日お会いしたら、こないだは何時までいたんですか?と聞かれて、しばらく何のことかわかりませんでした。そのときのことはもっと随分以前のように思えたからです。
体感的に1週間を3日分くらいに感じつつ、しかし中身充実なこの師走となっております。
とくに書くほどの話題ではないのですが、きのう、きょうとAlembic Rogueを使用し、きょうなど自前のアンプ(Glockenklang preamp + Bergantino powered speaker)持ち込みだったので、ひときわその素晴らしさを実感してきたわけですが、もうこんなの欲しい、あんなの欲しいと、暇さえあれば妄想に耽っている昨今の状況を打ち明けることにしました。
現在、6弦と5弦の2本を発注済みとなっており、それらはいずれも33.25インチスケールを指定してあります。いつできあがるか、まるで予測が付きません。たぶん発注した時点とは、若干あり方への希望がずれてしまっていることと思います。なんか、ある意味タイムカプセルですね。あの頃はこんなことを思ってたんだぁと、できあがった楽器を手にして、しみじみ昔を思い出すことになるかもしれません。
それらについては、ものができてから紹介することにして。妄想ということでは、いつかは欲しいシリーズモデル(外部電源を使い、本体にはハムキャンセルのコイルが積まれたやつ)をいかなる仕様でオーダーしようか、と夢見るわけです。
外形はRogueでよいので材ですが。
いま持ってる35インチをアップグレードしたいなぁ、っていうのもあり、エボニー1本、パープルハート2本を加えたネックにマホガニーのホローボディ、トップはマッカサーエボニーでバックはKen Smithに倣ってウォルナットかな。みたいな。
でもコアいきたいなぁ。コアのボディにキルテッドメイプルのトップバック。32インチ28フレットのHi-C5弦。Rogueのケツにハートオメガを加える。とか。
あと、シリーズものでなく、セットネックものも欲しいなぁと。Epicなどを実際に使用してきて、セット・(アレン)ビックは廉価版とはいえ、他社ハイエンドと互角に勝負できますから。
マホボディにバーミリオン("かりん"あるいはパドックでしょうね)のトップバックにして、ネックはウォルナットのストライプを廃したメイプルのみ。指板はパーフェローかココボロ。4弦の34インチでアクティベーター(PUのこと)はJBスタイルをフェンダーと同じ位置(70sがいいな)に配置し、回路はEuropaエレクトロニクス。
先日知人にお譲りしたEpic5は、トップ材をブビンガだと思い込んでいましたが、もしかしてバーミリオンではないかと疑い始めました。いずれにしても、あの材の組み合わせは最高だったのです。ウォームさとカット(抜け)のハイレベルな共存があり、以前ゼブラトップのEpic4も、すこぶるメンバーへのウケは良かったのですが、個人的に上回る感触を得ておりました。
シリアルで問い合わせれば、少々時間は食いますが材などをきちんと教えてくれます。明らかにしたいと思いつつ、謎なままでも楽しいかなとも思います。
やがて生まれる2本のあとに、少なくとも3本くらい作りたいと、夢を描くのは病の一種でしょうが、Rogueボディシェイプの際立つバランスの良さを知って以来、このモデルでありさえすれば、バランスの良さは保証されるので、色々なスケールをキャラとして受け入れて適材適所に使い分けることも一つの理想的なシステムだと考えるように至り、私のことをご存じの方には大変な裏切りと写ることでしょうが、もはやなんでもアリにパラダイムシフトしてしまったのです。
コッポロもスミスもMTDもFも、そこまで思えなかった。にも関わらずRogueシェイプのAlembicに、全部を覆すポテンシャルがあったなんて、それが驚きだし、今年最大の発見となったわけです。
先週の土日を仕事で共にした方と今日お会いしたら、こないだは何時までいたんですか?と聞かれて、しばらく何のことかわかりませんでした。そのときのことはもっと随分以前のように思えたからです。
体感的に1週間を3日分くらいに感じつつ、しかし中身充実なこの師走となっております。
とくに書くほどの話題ではないのですが、きのう、きょうとAlembic Rogueを使用し、きょうなど自前のアンプ(Glockenklang preamp + Bergantino powered speaker)持ち込みだったので、ひときわその素晴らしさを実感してきたわけですが、もうこんなの欲しい、あんなの欲しいと、暇さえあれば妄想に耽っている昨今の状況を打ち明けることにしました。
現在、6弦と5弦の2本を発注済みとなっており、それらはいずれも33.25インチスケールを指定してあります。いつできあがるか、まるで予測が付きません。たぶん発注した時点とは、若干あり方への希望がずれてしまっていることと思います。なんか、ある意味タイムカプセルですね。あの頃はこんなことを思ってたんだぁと、できあがった楽器を手にして、しみじみ昔を思い出すことになるかもしれません。
それらについては、ものができてから紹介することにして。妄想ということでは、いつかは欲しいシリーズモデル(外部電源を使い、本体にはハムキャンセルのコイルが積まれたやつ)をいかなる仕様でオーダーしようか、と夢見るわけです。
外形はRogueでよいので材ですが。
いま持ってる35インチをアップグレードしたいなぁ、っていうのもあり、エボニー1本、パープルハート2本を加えたネックにマホガニーのホローボディ、トップはマッカサーエボニーでバックはKen Smithに倣ってウォルナットかな。みたいな。
でもコアいきたいなぁ。コアのボディにキルテッドメイプルのトップバック。32インチ28フレットのHi-C5弦。Rogueのケツにハートオメガを加える。とか。
あと、シリーズものでなく、セットネックものも欲しいなぁと。Epicなどを実際に使用してきて、セット・(アレン)ビックは廉価版とはいえ、他社ハイエンドと互角に勝負できますから。
マホボディにバーミリオン("かりん"あるいはパドックでしょうね)のトップバックにして、ネックはウォルナットのストライプを廃したメイプルのみ。指板はパーフェローかココボロ。4弦の34インチでアクティベーター(PUのこと)はJBスタイルをフェンダーと同じ位置(70sがいいな)に配置し、回路はEuropaエレクトロニクス。
先日知人にお譲りしたEpic5は、トップ材をブビンガだと思い込んでいましたが、もしかしてバーミリオンではないかと疑い始めました。いずれにしても、あの材の組み合わせは最高だったのです。ウォームさとカット(抜け)のハイレベルな共存があり、以前ゼブラトップのEpic4も、すこぶるメンバーへのウケは良かったのですが、個人的に上回る感触を得ておりました。
シリアルで問い合わせれば、少々時間は食いますが材などをきちんと教えてくれます。明らかにしたいと思いつつ、謎なままでも楽しいかなとも思います。
やがて生まれる2本のあとに、少なくとも3本くらい作りたいと、夢を描くのは病の一種でしょうが、Rogueボディシェイプの際立つバランスの良さを知って以来、このモデルでありさえすれば、バランスの良さは保証されるので、色々なスケールをキャラとして受け入れて適材適所に使い分けることも一つの理想的なシステムだと考えるように至り、私のことをご存じの方には大変な裏切りと写ることでしょうが、もはやなんでもアリにパラダイムシフトしてしまったのです。
コッポロもスミスもMTDもFも、そこまで思えなかった。にも関わらずRogueシェイプのAlembicに、全部を覆すポテンシャルがあったなんて、それが驚きだし、今年最大の発見となったわけです。
リニューアル ― 2011年12月19日 09時14分57秒
使用開始から1ヶ月が経って、漸くAlembic Roge5 (35inch scale)を立奏の現場で使った。リハと40分の本番2回の、合計してもせいぜい2時間弱だけど、やっぱり左肩にずっしりと重しが乗ってきつかった。
ロングホーンがスケールの中心地である12Fまで確実に伸びていることが好バランスへのマストな条件であるとしても、それだけじゃこんなに弾きやすくはならない事例を多々見ているだけに、他に何が要件となるのか未だにわからないのが本当のところ。
個人的には、24Fある指板の長さだと、とっさにスラップしようとしたときの右手の位置が、楽に叩ける場所よりもブリッジ側へ引かないとだめなのが、いつも「チッ」となる。35インチだとなおさらだ。
このように若干ネガティブな印象となる立奏の場面では、やっぱりCitronのBO5(33inch scale)がベストだよなぁ、と思っているところへ、昔習いに来て頂いていた元生徒さんからサイト更新のお知らせが来た。この方もCitronユーザーのひとりである。
http://www.citron-guitars.com/
"Instruments"メニューにカーソルを合わせるとプルダウンメニューが現れ、上から3番目に"Custom Instruments"のリンクがある。これを選ぶと、さらにサブメニューが伸びるので"BO5 (bolt-on 5-string bass) Gold Top"をクリックすると大々的にぼくのやつが紹介される。
この時点ではAguilar OBP-1プリアンプを搭載する4ノブ仕様だが、現在はそれを廃してバッファーのみ積んだ2Vol / 1Tone / PU selector(トグルスイッチ)となっている。音色作りの上で、音を丸めたい(ハイをカットする)ことはしたくても、ブーストしたいことはまずないので、できるだけ素の音を劣化無く出力することだけを目指している。
製作者のHarvey Citron氏は、5弦ベースは35inchでしか作らないと、以前は話していたけれど、この楽器を作り終えてから、33inchでもLo-Bが大丈夫で驚いた、とコメントしてくれた。もちろん、それは計算上の案件などではなく、材の選び方から構造まで、こうしたらこうなる、という因果関係を念入りに想定して対策して頂いていたから得られた成功に違いない。というわけで、彼にとって誇るべき作品の一つとしてフィーチャーされたのはオーナーとして、この上ない喜びである。
ローAを視野に入れた35inch 5弦は、上記Alembicを市場に見つけることがなかったら、再びハービーにNT(ネックスルー)バージョンでオーダーしてみるつもりだった。結果的に舵を切ってしまったわけだが、それはそれでもの凄く良いものが生まれたに違いない。
そんなわけで更新されたCitronのサイトを是非眺めてみて下さい。いまはJ4 (“Jazz” Style 4-string)がとっても気になっています。これはたぶんCB(チャンバード)シリーズの進化版だと言えます。
ロングホーンがスケールの中心地である12Fまで確実に伸びていることが好バランスへのマストな条件であるとしても、それだけじゃこんなに弾きやすくはならない事例を多々見ているだけに、他に何が要件となるのか未だにわからないのが本当のところ。
個人的には、24Fある指板の長さだと、とっさにスラップしようとしたときの右手の位置が、楽に叩ける場所よりもブリッジ側へ引かないとだめなのが、いつも「チッ」となる。35インチだとなおさらだ。
このように若干ネガティブな印象となる立奏の場面では、やっぱりCitronのBO5(33inch scale)がベストだよなぁ、と思っているところへ、昔習いに来て頂いていた元生徒さんからサイト更新のお知らせが来た。この方もCitronユーザーのひとりである。
http://www.citron-guitars.com/
"Instruments"メニューにカーソルを合わせるとプルダウンメニューが現れ、上から3番目に"Custom Instruments"のリンクがある。これを選ぶと、さらにサブメニューが伸びるので"BO5 (bolt-on 5-string bass) Gold Top"をクリックすると大々的にぼくのやつが紹介される。
この時点ではAguilar OBP-1プリアンプを搭載する4ノブ仕様だが、現在はそれを廃してバッファーのみ積んだ2Vol / 1Tone / PU selector(トグルスイッチ)となっている。音色作りの上で、音を丸めたい(ハイをカットする)ことはしたくても、ブーストしたいことはまずないので、できるだけ素の音を劣化無く出力することだけを目指している。
製作者のHarvey Citron氏は、5弦ベースは35inchでしか作らないと、以前は話していたけれど、この楽器を作り終えてから、33inchでもLo-Bが大丈夫で驚いた、とコメントしてくれた。もちろん、それは計算上の案件などではなく、材の選び方から構造まで、こうしたらこうなる、という因果関係を念入りに想定して対策して頂いていたから得られた成功に違いない。というわけで、彼にとって誇るべき作品の一つとしてフィーチャーされたのはオーナーとして、この上ない喜びである。
ローAを視野に入れた35inch 5弦は、上記Alembicを市場に見つけることがなかったら、再びハービーにNT(ネックスルー)バージョンでオーダーしてみるつもりだった。結果的に舵を切ってしまったわけだが、それはそれでもの凄く良いものが生まれたに違いない。
そんなわけで更新されたCitronのサイトを是非眺めてみて下さい。いまはJ4 (“Jazz” Style 4-string)がとっても気になっています。これはたぶんCB(チャンバード)シリーズの進化版だと言えます。
プラスマイナス ― 2011年12月13日 00時35分46秒
・軽量化計画
たしか購入店のweb siteには5.6kgと書いてあったような、ヘビー級のローグ5弦。ネックのセンターにはびしっとエボニーが入っていて、35インチスケールによる増量も効いている。結構それだけで使用を控えたい感じでスルーした人も多いんじゃないかな。
もともとバックパネルやロッドカバーにはブラス製且つクロームメッキという豪華オプションがおごられており、買ってすぐに開けてみて、たかが蓋なのに重すぎて笑えた。意味ない。
というわけで同様の厚みのピックガード素材で裏蓋を、ロッドカバーにはエボニー板を使用して、それぞれ製作して頂いた。合計4枚なので結構な値だったが、軽量化への効果は大きく、満足している。
さらに、このベースのネックサイドポジションはLEDが仕込まれていて、そのためのバッテリーが3コ積まれている。アクティブ回路にも1コなので合計4コの006P電池は、やはり結構な荷物だ。
青色LEDは眩しすぎ、27Vも必要ないと思ったので、こちらも18Vに改造してもらった。ちなみに9Vでは点灯しなかったものの、18Vでは依然明る過ぎに感じるため黒いドットのシールを貼り付けて減光している。
バッテリーとスナップの重量が50g
ロッドカバーが50g
ブラス製バックパネルが3枚合計で235g
新規のカバー類は4枚合計で65g
故に270gの減量となった。
・エクステンダー装着
もともとバックパネルやロッドカバーにはブラス製且つクロームメッキという豪華オプションがおごられており、買ってすぐに開けてみて、たかが蓋なのに重すぎて笑えた。意味ない。
というわけで同様の厚みのピックガード素材で裏蓋を、ロッドカバーにはエボニー板を使用して、それぞれ製作して頂いた。合計4枚なので結構な値だったが、軽量化への効果は大きく、満足している。
さらに、このベースのネックサイドポジションはLEDが仕込まれていて、そのためのバッテリーが3コ積まれている。アクティブ回路にも1コなので合計4コの006P電池は、やはり結構な荷物だ。
青色LEDは眩しすぎ、27Vも必要ないと思ったので、こちらも18Vに改造してもらった。ちなみに9Vでは点灯しなかったものの、18Vでは依然明る過ぎに感じるため黒いドットのシールを貼り付けて減光している。
バッテリーとスナップの重量が50g
ロッドカバーが50g
ブラス製バックパネルが3枚合計で235g
新規のカバー類は4枚合計で65g
故に270gの減量となった。
・エクステンダー装着
もともと、この楽器はB線をLo-Aまで落として使うことを想定して選んだため、Hipshot X-tenderへの交換が折り込み済みだった。取り寄せていたGOTOH GB7仕様が届いたため、これも早速付けてみた。
単体のペグは55g
X-tenderは135g
単体のペグは55g
X-tenderは135g
ということでここで80gリバウンドしてしまい、結局のところ190gの減量にしかなっていない。
ヘッドダイブ皆無だったのが少し下がるようになって、文句なしの絶妙なバランスは微妙に狂ってしまった。
というわけでHipshotのUltra Lightに総取っ替えかなぁ。。。
ヘッドダイブ皆無だったのが少し下がるようになって、文句なしの絶妙なバランスは微妙に狂ってしまった。
というわけでHipshotのUltra Lightに総取っ替えかなぁ。。。
Eclipse ― 2011年12月12日 00時04分18秒
横浜で先輩のライブを見る。フロントのギターリスト3人は、みな50代の方達。バッキングのベーシストはとっても上手な25歳、ドラマーはキュートな平成生まれ。彼女、スカートで叩いてた。うまくてびっくり。でも曲は70年代フュージョン、ってことでぼくにはリアルタイムな、そして結構強い影響を与えた音楽。Lee Ritenour作曲の"Morning Glory"とか。これ、先日のCD大放出(1400枚以上の売却処分)時にEric Galeバージョンで久々に聴き直して熱くなってただけに、イントロきいた瞬間に感動。啓示を見た。
店を出て駐車場へ向かうと、往来で空を見上げる人々がそこここに。あ、皆既月食だったね。そのときはまだ只の三日月のようだったけど、よく見れば欠け方は普通じゃない感じ。たまたまデジタルカメラを持っていたので撮ってみた。撮り始めると血が騒いで止められなくなった。というか、何か壮大な儀式を見ているような興奮があって、見届けなきゃって思った。
カメラはオリンパスのSZ-30MRという光学24倍ズームを胸ポケットに入るサイズまで小型化した現行機種。F値は6.9まで落ちるものの600mmで撮影できるので月は結構大きく写るのだ。でももちろんブレの防止が大変。駐車場から出して路駐した車の屋根にタオルを敷き、その上に半固定して撮影した。手持ちよりよほどマシだが三脚並にはいかない。撮影モードにマニュアルはないので、色々試してみたが夜景モードの成功率が高かった。ピントを無限遠に固定できないのも駄目なところ。撮影は50枚ばかしで1600万画素(4608x3456)をPhotoshopで2000x1500に縮小したのち月をど真ん中に800x600でクロップしている。構図もへったくれもない。『2001年宇宙の旅』風のは原寸切り出し。これと最後のがお気に入り。
ちなみにこのカメラ、今年のGW前に発売だったと記憶するが、当時45000円近辺で購入。それが今日、量販店を覗いたときに何気なく目に入ったらポイントバック込みなら16000円を切ってる。わずか半年で1/3まで下落するとは、会社があれだからだとしても、可哀想すぎる。売っちゃおうかなと思ったこともあるけど、二束三文じゃ切ない。腐っても600mmだし持っておこうと決めた。2011年12月10日はOracleに充ち満ちた素敵な一日でした。
店を出て駐車場へ向かうと、往来で空を見上げる人々がそこここに。あ、皆既月食だったね。そのときはまだ只の三日月のようだったけど、よく見れば欠け方は普通じゃない感じ。たまたまデジタルカメラを持っていたので撮ってみた。撮り始めると血が騒いで止められなくなった。というか、何か壮大な儀式を見ているような興奮があって、見届けなきゃって思った。
カメラはオリンパスのSZ-30MRという光学24倍ズームを胸ポケットに入るサイズまで小型化した現行機種。F値は6.9まで落ちるものの600mmで撮影できるので月は結構大きく写るのだ。でももちろんブレの防止が大変。駐車場から出して路駐した車の屋根にタオルを敷き、その上に半固定して撮影した。手持ちよりよほどマシだが三脚並にはいかない。撮影モードにマニュアルはないので、色々試してみたが夜景モードの成功率が高かった。ピントを無限遠に固定できないのも駄目なところ。撮影は50枚ばかしで1600万画素(4608x3456)をPhotoshopで2000x1500に縮小したのち月をど真ん中に800x600でクロップしている。構図もへったくれもない。『2001年宇宙の旅』風のは原寸切り出し。これと最後のがお気に入り。
ちなみにこのカメラ、今年のGW前に発売だったと記憶するが、当時45000円近辺で購入。それが今日、量販店を覗いたときに何気なく目に入ったらポイントバック込みなら16000円を切ってる。わずか半年で1/3まで下落するとは、会社があれだからだとしても、可哀想すぎる。売っちゃおうかなと思ったこともあるけど、二束三文じゃ切ない。腐っても600mmだし持っておこうと決めた。2011年12月10日はOracleに充ち満ちた素敵な一日でした。
10年20年30年 ― 2011年12月09日 01時42分33秒
プロ・プレイヤーになったのは1991年の12/1(じゅうにがついっぴ)。88年5月より師匠について本格的に学ぶようになってから3年7ヶ月後のことだ。そしてやみくもに「ミュージシャン」になりたいと夢を持ったのが17の頃。そこからは10年が経っていた。恥ずかしいまでに時間がかかったのは、ひととおり大学生をやり、サラリーマンを務めた、あるいはそうせざるを得なかったからだと思っている。言い訳がましく聞こえるかも知れないが、以後20年間、今日も「ミュージシャン」でいられるのだから、通った道を振り返って「事情」の追記があっても許されて良かろう。
夢を持って音楽を作り、デモの制作やライブをこなしていたが、それ自体は職業たり得ない。すでに退職し、アルバイトをしながら頑張ってはみたが、それも27歳の誕生日を迎えるまでに、食い扶持をこの世界に持たない限り、すっぱりと諦めるつもりだった。
その3ヶ月前にオーディションに通り、あるバンドでレギュラーベーシストとなった。すでに様々なスタイルで初見がきくようにしておいたつもりが、現場でその力を発揮するには、まだ時間がかかった。歌手の伴奏でホールへ入り、その場で渡される譜面を、フルコーラスさらうことなどありえない短時間のリハーサルのみで本番をこなすのは、思うほど簡単ではなく、先輩達がつつがなく演奏できているのが不思議でならなかった。
仕事量は豊富でもギャラ単価は極端に安く、初仕事などそんなものかもしれないが、あいかわらずアルバイトを辞めることもできず、生活は苦しかった。どうにかしてそのバンドを辞めたいが、ここで離れてしまえば元に戻ってしまう。次の仕事を一刻も早く得たかった。
翌年、雑誌で講師募集の記事を見た友人がそれを教えてくれた。このオーディションにも通ることができたので、それは講師職でありプレイヤーではなかったが、初仕事のバンドを13ヶ月の在籍で上がることにした。インストラクターは性に合うようで、さらに翌年、師匠が新しく創設された音楽学校に採用して頂ける運びとなった。ふたつの学校を掛け持ちで週に4曜日拘束され、その他の時間は、再びバンド活動に充てることができた。
初年度を過ごしたバンドの人脈で、やがて次のバンドへ、そこでも不満が高まり11ヶ月で脱退。しかしバンマスには気に入ってもらうことができ、その後また別のバンドへ紹介していただいた。そこではアルバム2枚に参加させていただき、その機会に素晴らしいピアニスト/アレンジャーと出会って、後に様々な仕事をご一緒させていただいた。
一方、自分でやっていたバンドの方はうまく行かなかった。それはそれでしかたのないことだけど、プレイヤーとして講師職以上の収入を得るまでに仕事量が増えていたので、嫌な気分ではなかった。
1999年の8月に母が亡くなり、母の営んでいた小さな会社を引き継いで迎えた初めての決算の時、すべて終えて顧問税理士の事務所を出たとき、その建物の10階から飛び降りそうになる衝動を必死でこらえた。その数日後にも、教える仕事から帰る際、下北沢の小田急線のホームで電車に飛び込みそうになるのをしゃがみ込んで防いだ。知らぬ間に鬱に浸食されていた。
ずっと後のことだが、あるバンドメンバーが楽屋話で、鬱病になるなんて甘えだと自説をといた。おれなんか、どれだけ落ち込まされる状況になったことか、その都度努力して這い上がってきたんだ、と話す。だから自殺するなんて甘えていると。何もわかってないなぁと感じた。鬱は体が死を欲するのだ。意識はそれを止めたいのだが、制御に自信が持てない。普通なら起こりえない、その拮抗したせめぎ合いが病たる所以だ。ぼくのときも理由はなかった。確かに身内を失うことはきっかけだったろう。けれど状況として「悪くはない」「リア充」の時期だった。もちろん、少しも死にたいとは思っていなかった。しかし、ふっと飛びたくなる。
通院を開始し、薬事治療とカウンセリングを受けたが、まだ仕事先に迷惑を掛けるほどではなかった。しかし死への魅力的な入り口がそこここに見えて、怖くて仕方がなかった。思い切り環境を変えることを勧められ、ただひとり事態を知る妹がニューヨークへでも行ってみたらと呟いた。彼女の美大受験準備中に指導した予備校講師に、かの村上隆氏がいて、その頃ちょうど全米で話題になっていたのだ。
初仕事から9年と7ヶ月、ぼくは全ての仕事から下りることにして渡米した。お世話になった方々への手前、音楽の勉強のための留学という体裁をとり、事実音楽大学の受験を行い、入試に合格した。しかしそんな名目はどうでも良くて、結局は英語学校に籍を置いて、むしろ音楽からは離れることを試みた。1年間の留学費用は、その期間に失う収入を加算すれば1000万近いと言えなくもない、とんだ散財だと非難する人も周りにいたが死ぬよりはましだ。
2001年のセプテンバー・イレブンスはそこで起きた。戦争を直接知らない人間にとって、厳戒態勢が敷かれ相当な緊張感が飽満したとき、これが戦争なのだと感じられた。都市が攻撃を受け、国がそれに報復せんとするきな臭さの中に身を置いて、ぼくの中の鬱は消え去った。
再び、音楽に携わりたいと欲求した。そのまま、なんとしても彼の地に留まりたかったが、ひとり置いてきた年老いた父が、戻るように何度も懇願したため、長男として、それに従わざるを得ないなと思った。旅は10ヶ月、300日で終わってしまった。
2002年の夏は3ヶ月ほどアルバイトをしなければならなかったが、やがて前職から現場を任されるようになり、次第に演奏の仕事も増やして、渡米以前の生活様式を取り戻すことができた。2004年から自分のバンドを組み、雇われて弾く音楽と一線を画して、やりたいことをやれる場を始動した。
2008年の3月15日、遡ること約5年にわたって、演奏の仕事と言えば、ほぼいつでもご一緒させていただいたピアニスト/アレンジャーの方が永眠された。いつもにこやかで、ぼくのことを天才、天才と言って励ましてくれた。ぼくはベーシストとして彼の左手となり、気が合うとでも言うべきか、ふいに織り込むフィルインがユニゾンになったり、ともかく演奏する音の全てが会話となる希有な体験をさせていただいた。
彼の体調が悪化したとき、あなたが死んだら、ぼくは音楽を辞めますよと語りかけていた。それが現実になったとき、ぼくはいまだ音楽を辞める勇気も持てず、途方に暮れている。演奏の楽しみを見いだすことは更に難しくなり、同時にぼくは歳をとり、うまく演奏できない、という衰えを痛感させられることとなる。また言い訳を述べているのかも知れない。だからおまえはだめなんだと言われるならば、その批判は受けとめる所存だ。
2010年の8/16はピークだった。たかがライブハウスへの出演に過ぎないが、父が初めて現場に現れた日として記憶されるだろう。自分のバンドだからMCを行うのは当然のことだ。父は、単に使われているだけのプレイヤーだと常々思っていたらしく、この日の姿を見て誇らしく感じたのだそうだ。親戚が集まったところで、もう安心だと言ってくれた。
ところが11/8にその続編を企画したら、その日は大失敗だった。ぼくは3曲で致命的なミスを犯し、あまりにも能力の稚拙さを晒した。ブログのコメント欄を通じ、当日ご覧頂いた方から匿名で痛烈な非難を受けた。もちろん、全てその通りだった。その時点でブッキングしていた2/28はキャンセルし、その日をキャリアの終焉と決めた。
湘南新宿ライナーを待つ渋谷駅のホームに立ちながら、2011年の12月を過ごしているということは、丁度音楽生活20年なんだとふと思い出した。プロになりたいと思ってからそれが叶うまで10年。最初の壁にぶつかって身を引いてみたときからも10年。なんだかんだの10年20年30年だった。昨年の寅年と今年の卯年は天中殺だ。昨年8月に達成を感じるも、その後はくじいてばかり。このプロセスを経て、ぼくは等身大の自分の姿を知った。頭の毛が自覚している以上に抜けていて、すでに初老の相を呈しているのを昨日、帰宅後の洗面所で見た。今年最大の学びは、終着点へ向けて着陸態勢に入ったことへの発見だ。とても厳しい一年だったけれど、漸くその意味がわかったのだ。年男たる辰年の節分を超えて、新しい周期が巡ったとき、たぶんこれまでとは違う風景を見て暮らすことになるのだろう。今にしてそれは楽しみに思える。長い辛さももうすぐに終わる。そんなささやかな清々しさを感じた今日だった。
夢を持って音楽を作り、デモの制作やライブをこなしていたが、それ自体は職業たり得ない。すでに退職し、アルバイトをしながら頑張ってはみたが、それも27歳の誕生日を迎えるまでに、食い扶持をこの世界に持たない限り、すっぱりと諦めるつもりだった。
その3ヶ月前にオーディションに通り、あるバンドでレギュラーベーシストとなった。すでに様々なスタイルで初見がきくようにしておいたつもりが、現場でその力を発揮するには、まだ時間がかかった。歌手の伴奏でホールへ入り、その場で渡される譜面を、フルコーラスさらうことなどありえない短時間のリハーサルのみで本番をこなすのは、思うほど簡単ではなく、先輩達がつつがなく演奏できているのが不思議でならなかった。
仕事量は豊富でもギャラ単価は極端に安く、初仕事などそんなものかもしれないが、あいかわらずアルバイトを辞めることもできず、生活は苦しかった。どうにかしてそのバンドを辞めたいが、ここで離れてしまえば元に戻ってしまう。次の仕事を一刻も早く得たかった。
翌年、雑誌で講師募集の記事を見た友人がそれを教えてくれた。このオーディションにも通ることができたので、それは講師職でありプレイヤーではなかったが、初仕事のバンドを13ヶ月の在籍で上がることにした。インストラクターは性に合うようで、さらに翌年、師匠が新しく創設された音楽学校に採用して頂ける運びとなった。ふたつの学校を掛け持ちで週に4曜日拘束され、その他の時間は、再びバンド活動に充てることができた。
初年度を過ごしたバンドの人脈で、やがて次のバンドへ、そこでも不満が高まり11ヶ月で脱退。しかしバンマスには気に入ってもらうことができ、その後また別のバンドへ紹介していただいた。そこではアルバム2枚に参加させていただき、その機会に素晴らしいピアニスト/アレンジャーと出会って、後に様々な仕事をご一緒させていただいた。
一方、自分でやっていたバンドの方はうまく行かなかった。それはそれでしかたのないことだけど、プレイヤーとして講師職以上の収入を得るまでに仕事量が増えていたので、嫌な気分ではなかった。
1999年の8月に母が亡くなり、母の営んでいた小さな会社を引き継いで迎えた初めての決算の時、すべて終えて顧問税理士の事務所を出たとき、その建物の10階から飛び降りそうになる衝動を必死でこらえた。その数日後にも、教える仕事から帰る際、下北沢の小田急線のホームで電車に飛び込みそうになるのをしゃがみ込んで防いだ。知らぬ間に鬱に浸食されていた。
ずっと後のことだが、あるバンドメンバーが楽屋話で、鬱病になるなんて甘えだと自説をといた。おれなんか、どれだけ落ち込まされる状況になったことか、その都度努力して這い上がってきたんだ、と話す。だから自殺するなんて甘えていると。何もわかってないなぁと感じた。鬱は体が死を欲するのだ。意識はそれを止めたいのだが、制御に自信が持てない。普通なら起こりえない、その拮抗したせめぎ合いが病たる所以だ。ぼくのときも理由はなかった。確かに身内を失うことはきっかけだったろう。けれど状況として「悪くはない」「リア充」の時期だった。もちろん、少しも死にたいとは思っていなかった。しかし、ふっと飛びたくなる。
通院を開始し、薬事治療とカウンセリングを受けたが、まだ仕事先に迷惑を掛けるほどではなかった。しかし死への魅力的な入り口がそこここに見えて、怖くて仕方がなかった。思い切り環境を変えることを勧められ、ただひとり事態を知る妹がニューヨークへでも行ってみたらと呟いた。彼女の美大受験準備中に指導した予備校講師に、かの村上隆氏がいて、その頃ちょうど全米で話題になっていたのだ。
初仕事から9年と7ヶ月、ぼくは全ての仕事から下りることにして渡米した。お世話になった方々への手前、音楽の勉強のための留学という体裁をとり、事実音楽大学の受験を行い、入試に合格した。しかしそんな名目はどうでも良くて、結局は英語学校に籍を置いて、むしろ音楽からは離れることを試みた。1年間の留学費用は、その期間に失う収入を加算すれば1000万近いと言えなくもない、とんだ散財だと非難する人も周りにいたが死ぬよりはましだ。
2001年のセプテンバー・イレブンスはそこで起きた。戦争を直接知らない人間にとって、厳戒態勢が敷かれ相当な緊張感が飽満したとき、これが戦争なのだと感じられた。都市が攻撃を受け、国がそれに報復せんとするきな臭さの中に身を置いて、ぼくの中の鬱は消え去った。
再び、音楽に携わりたいと欲求した。そのまま、なんとしても彼の地に留まりたかったが、ひとり置いてきた年老いた父が、戻るように何度も懇願したため、長男として、それに従わざるを得ないなと思った。旅は10ヶ月、300日で終わってしまった。
2002年の夏は3ヶ月ほどアルバイトをしなければならなかったが、やがて前職から現場を任されるようになり、次第に演奏の仕事も増やして、渡米以前の生活様式を取り戻すことができた。2004年から自分のバンドを組み、雇われて弾く音楽と一線を画して、やりたいことをやれる場を始動した。
2008年の3月15日、遡ること約5年にわたって、演奏の仕事と言えば、ほぼいつでもご一緒させていただいたピアニスト/アレンジャーの方が永眠された。いつもにこやかで、ぼくのことを天才、天才と言って励ましてくれた。ぼくはベーシストとして彼の左手となり、気が合うとでも言うべきか、ふいに織り込むフィルインがユニゾンになったり、ともかく演奏する音の全てが会話となる希有な体験をさせていただいた。
彼の体調が悪化したとき、あなたが死んだら、ぼくは音楽を辞めますよと語りかけていた。それが現実になったとき、ぼくはいまだ音楽を辞める勇気も持てず、途方に暮れている。演奏の楽しみを見いだすことは更に難しくなり、同時にぼくは歳をとり、うまく演奏できない、という衰えを痛感させられることとなる。また言い訳を述べているのかも知れない。だからおまえはだめなんだと言われるならば、その批判は受けとめる所存だ。
2010年の8/16はピークだった。たかがライブハウスへの出演に過ぎないが、父が初めて現場に現れた日として記憶されるだろう。自分のバンドだからMCを行うのは当然のことだ。父は、単に使われているだけのプレイヤーだと常々思っていたらしく、この日の姿を見て誇らしく感じたのだそうだ。親戚が集まったところで、もう安心だと言ってくれた。
ところが11/8にその続編を企画したら、その日は大失敗だった。ぼくは3曲で致命的なミスを犯し、あまりにも能力の稚拙さを晒した。ブログのコメント欄を通じ、当日ご覧頂いた方から匿名で痛烈な非難を受けた。もちろん、全てその通りだった。その時点でブッキングしていた2/28はキャンセルし、その日をキャリアの終焉と決めた。
湘南新宿ライナーを待つ渋谷駅のホームに立ちながら、2011年の12月を過ごしているということは、丁度音楽生活20年なんだとふと思い出した。プロになりたいと思ってからそれが叶うまで10年。最初の壁にぶつかって身を引いてみたときからも10年。なんだかんだの10年20年30年だった。昨年の寅年と今年の卯年は天中殺だ。昨年8月に達成を感じるも、その後はくじいてばかり。このプロセスを経て、ぼくは等身大の自分の姿を知った。頭の毛が自覚している以上に抜けていて、すでに初老の相を呈しているのを昨日、帰宅後の洗面所で見た。今年最大の学びは、終着点へ向けて着陸態勢に入ったことへの発見だ。とても厳しい一年だったけれど、漸くその意味がわかったのだ。年男たる辰年の節分を超えて、新しい周期が巡ったとき、たぶんこれまでとは違う風景を見て暮らすことになるのだろう。今にしてそれは楽しみに思える。長い辛さももうすぐに終わる。そんなささやかな清々しさを感じた今日だった。
得てしておしゃれな店にありがちな失望など。 ― 2011年12月05日 12時04分34秒
月に2回、11時から8時頃まで渋谷の教室で教えている。クラス編成は年次を経て微妙に変化していくのだけど、ここしばらくお昼の1時からが空き時間となっていて、その先は長いのだけど、このタイミングで昼食をとりに行く。普通の人にとって普通の時間帯なれど、仕事の都合で3時から5時くらいの間にブランチ、夜の10時から0時くらいに夕食、が標準サイクル。これを見て、なんと不健康な、と仰るかも知れないが、朝を食べない(輪をかけて不健康?)ので、夜ちゃんと食べる(抜いてしまうことも多々あるが)。いや、食生活を語るのは目的でなかった。つまりこの日は昼の1時と夜の9時前と、少し前倒しで食事していると。この前提も必要ないんだけど。
昼に行くところと注文は決まっている。誰がなんと言おうと「ねぎし」で「豚旨辛焼セット(880円)」を食べる。牛タン屋だが豚しか選ばない。月に2回しか行かないのだから好きなものを食べる。この店は、日曜の1時に行けば、だいたいは入れる。人出の多い連休や、時刻が少し遅いと列に並ぶことになる。しかし回転は早い。
食事そのものに満足していなければ通うまでに至らないが、この店舗をことさら気に入っている理由は従業員のオペレーションが素晴らしいからだ。ホールに出ている3名の女性とオープンキッチンを回している調理の男性3名の連携に、まったくの無駄を感じない。ぼくは彼らの客さばきを、素晴らしく訓練されたプロスポーツ選手のフォーメーションにもなぞらえて飽きることなく眺めている。長年アルバイトをしたことがあって、外食産業には少なからず関心を寄せいているが、「食堂」としての機能において、この店の運営は最高のレベルだと思う。
昨日は仕事の後にまだ所要があって、それを済ませて夕食をどうするか迷ったあげく、結局渋谷で食べて帰ることにした。マークシティにあるカフェ(のような店)で雑炊(のような鍋)を選んだ。店の前には営業時間の案内が出ていて、ラストオーダーは20:30とある。時計を見ると丁度その時間。まだ大丈夫ですか?と問いかけると妙な間が空いて、ラストオーダーは8時半ですが、と答える。いや、ぴったりその時間だから、もう終わったのか、まだ受け付けてくれるのか、それを聞きたいんですが(心の声)。もう一度、終わりですか?と尋ねると「ラストオーダーは8時半ですが大丈夫ですか?」と逆に尋ねられる。ぼくは少し混乱しつつ、それは、まだ閉店していないという意味だろうと解釈して、やや場違いに「お願いします」と言った。店内は混んでいて、よく見ないと空席がわからないような様子。案内は「お好きな席へどうぞ」の一言だったので、入っていって座席をさがした。
その料理にはサイドに温泉卵が付くのだけど、オーダーしてしばらくすると、また違ったウェイトレスがやってきて、温泉卵が付けられないんですけど、と聞いてくる。ぼくの頭が悪いのか、すぐに状況を飲み込めず、2、3会話をして、それが品切れになっているということがわかった。温泉卵はほぼ半分のメニューに付属するようになっていて、違う何かを選ぶにしても、温泉卵がセットされないメニューにしなければコンプリートしないと。で、このウェイトレスは、卵は無いから付かないと、その了承を求めている。
というか、キッチンから卵は切れたと客に伝えろとだけ言われて、それに従っているらしい。で、ぼくにどうしろと言うのだ。常識的に考えて、メニューにあるものが出せないときは代替の何かを添えたりするものだろう。むろんこちらも、オーダーストップ直前に駆け込んでいるのだから、完売した食材があったってしょうがないと思う。けれど、普通そうならば、接客業たるもの、客の立場になって善後策を提案するものではないだろうか。
たまたまチーズの追加を注文済みで、それを卵に換えてサイド扱いにしてくれないか(オプションを無料にしろ、ということだ)と言ってみると、聞いてみますと言って奥へ引っ込む。了解を得たらしく、それで出してくれることになった。
不快でも迷惑でもなく、行われていることに非難すべき点は無いし、このケースで卵が付かない分損だと感じるならば、それが付属しない他のメニューを選べばいい。自分をうるさい客かもしれないと顧みる気持ちもないではない。だがそこはかとなく居心地が悪い。ここで働いている人達は、働かされているようだな、と感じた。大げさでなく、海外へ行ったときのように、うまく言葉が通じず、腑に落ちない微妙な時間を繰り返した。
ぼくが商売をやっているのならば、ラストオーダー間際でも、来てくれたお客は歓待する。その人に出すべき食材を切らしているのならば、そのほかのもので満足して貰えるよう提案してみる。それらのコミュニケーションを通じて、そのお客との距離を近づける。もちろんベースには、この店を選んでくれて嬉しい、感謝しているという気持ちがある。
というわけで、地の利とコンセプトで営業展開し、そこそこの利益を上げつつも、やがて凋落したときには潮目が変わったからなどとして、商売の根本を振り返らない姿勢は、飲食店として致命的だと思うのだ。
昼に行くところと注文は決まっている。誰がなんと言おうと「ねぎし」で「豚旨辛焼セット(880円)」を食べる。牛タン屋だが豚しか選ばない。月に2回しか行かないのだから好きなものを食べる。この店は、日曜の1時に行けば、だいたいは入れる。人出の多い連休や、時刻が少し遅いと列に並ぶことになる。しかし回転は早い。
食事そのものに満足していなければ通うまでに至らないが、この店舗をことさら気に入っている理由は従業員のオペレーションが素晴らしいからだ。ホールに出ている3名の女性とオープンキッチンを回している調理の男性3名の連携に、まったくの無駄を感じない。ぼくは彼らの客さばきを、素晴らしく訓練されたプロスポーツ選手のフォーメーションにもなぞらえて飽きることなく眺めている。長年アルバイトをしたことがあって、外食産業には少なからず関心を寄せいているが、「食堂」としての機能において、この店の運営は最高のレベルだと思う。
昨日は仕事の後にまだ所要があって、それを済ませて夕食をどうするか迷ったあげく、結局渋谷で食べて帰ることにした。マークシティにあるカフェ(のような店)で雑炊(のような鍋)を選んだ。店の前には営業時間の案内が出ていて、ラストオーダーは20:30とある。時計を見ると丁度その時間。まだ大丈夫ですか?と問いかけると妙な間が空いて、ラストオーダーは8時半ですが、と答える。いや、ぴったりその時間だから、もう終わったのか、まだ受け付けてくれるのか、それを聞きたいんですが(心の声)。もう一度、終わりですか?と尋ねると「ラストオーダーは8時半ですが大丈夫ですか?」と逆に尋ねられる。ぼくは少し混乱しつつ、それは、まだ閉店していないという意味だろうと解釈して、やや場違いに「お願いします」と言った。店内は混んでいて、よく見ないと空席がわからないような様子。案内は「お好きな席へどうぞ」の一言だったので、入っていって座席をさがした。
その料理にはサイドに温泉卵が付くのだけど、オーダーしてしばらくすると、また違ったウェイトレスがやってきて、温泉卵が付けられないんですけど、と聞いてくる。ぼくの頭が悪いのか、すぐに状況を飲み込めず、2、3会話をして、それが品切れになっているということがわかった。温泉卵はほぼ半分のメニューに付属するようになっていて、違う何かを選ぶにしても、温泉卵がセットされないメニューにしなければコンプリートしないと。で、このウェイトレスは、卵は無いから付かないと、その了承を求めている。
というか、キッチンから卵は切れたと客に伝えろとだけ言われて、それに従っているらしい。で、ぼくにどうしろと言うのだ。常識的に考えて、メニューにあるものが出せないときは代替の何かを添えたりするものだろう。むろんこちらも、オーダーストップ直前に駆け込んでいるのだから、完売した食材があったってしょうがないと思う。けれど、普通そうならば、接客業たるもの、客の立場になって善後策を提案するものではないだろうか。
たまたまチーズの追加を注文済みで、それを卵に換えてサイド扱いにしてくれないか(オプションを無料にしろ、ということだ)と言ってみると、聞いてみますと言って奥へ引っ込む。了解を得たらしく、それで出してくれることになった。
不快でも迷惑でもなく、行われていることに非難すべき点は無いし、このケースで卵が付かない分損だと感じるならば、それが付属しない他のメニューを選べばいい。自分をうるさい客かもしれないと顧みる気持ちもないではない。だがそこはかとなく居心地が悪い。ここで働いている人達は、働かされているようだな、と感じた。大げさでなく、海外へ行ったときのように、うまく言葉が通じず、腑に落ちない微妙な時間を繰り返した。
ぼくが商売をやっているのならば、ラストオーダー間際でも、来てくれたお客は歓待する。その人に出すべき食材を切らしているのならば、そのほかのもので満足して貰えるよう提案してみる。それらのコミュニケーションを通じて、そのお客との距離を近づける。もちろんベースには、この店を選んでくれて嬉しい、感謝しているという気持ちがある。
というわけで、地の利とコンセプトで営業展開し、そこそこの利益を上げつつも、やがて凋落したときには潮目が変わったからなどとして、商売の根本を振り返らない姿勢は、飲食店として致命的だと思うのだ。
プリントアウトした図面を壁に貼ってにんまり。 ― 2011年12月03日 22時48分54秒
ちょっと前に書いたことでも読み直さないから覚えてないもんね…
状況が結構変わった。ばたばたっと。
(体感的に)すっごい昔にオーダーしたオリジナルデザイン(と言っても既製品のアレンジの域を出ないのだけど)の製作がローンチされたとか、そうでないとか。
Alembicの話だけど。
ある時点でコンセプトは、33インチ/22フレット/5弦/3PUs/ライトハンドチューナー(ヘッドレスの事ね)/フラッシュストラップボタン(KSmithのスルーネックのみたいなやつ)/バッファーのみのアクティブ、といったところに落ち着いたのだけど、あれをオーダーしたのはそこまで固まる前。
そしていまやそこからも離脱し、多少進化したアイディアに至っているのだけど。
というわけで温故知新な仕様で、まさにこれはAlembicの世界観に触れるための全部載せ的な実験モデルなんだが、そしてもちろん忘れたわけではなくてずっと心にとめておいたのだけど妙にあきらめたような気持ちにすらなっていた、という幻が現実味を見せ始めた、といったところ。
Factory to Customerページでもお馴染み、オール・ココボロ・ボディのクラシコ(アップライトベース)の製作に注力されすぎているための、全社的な遅延ではないかと察したり。
ところがオーダーを受けるまでのレスポンスは早いらしい。
商売があまりお上手でないアレンビック社。
アレンビックは70年代から連綿と続く「シリーズ」ベース(外部電源を用いるもの)をフラッグシップに、現代的に合理化を進めて地上へ舞い降りた電池駆動スルーネック・ライン、そして敢えてプアマンズと言いたいセットネック・ラインの3つのレンジで構成される。(ギターも同様。そしてその外にクラシコがある)。もちろん、どのモデルを選ぼうとも、それを叩き台にフル・カスタムオーダーを受け付けている。全く意味のないことではあるが、あなたが望めばFender Jazzシェイプの楽器をボルトオンでやってくれと言えば、彼らは不承不承でも作る。
これまで実際に所有して現場で使用したのはセットネックのが2本、スルーネックのはショートスケールで1PUのボトムレンジを担う機種。それらをもってしても、十二分にアイデンティティを発揮して魅力なのだが、最近に仕入れたスルーネック・ラインの中間レベルに位置するRogueが、結構なオプションを積んでいる結果と言えど、個人史的にも未体験なゾーンに手招きする実力を秘めていることを知り、ここへきてまたこのブランドを評価したわけだ。
ちょっとは知ったような顔をしていたが、このレベルの楽器はまだ持ったことがなかったのを思い出し、じゃぁあの6弦はどんなことになってしまうのか、ぐっと期待感が増すのを禁じ得ない。往々にして懲りすぎたオーダーが失敗に終わるのは経験済みにしても…。
状況が結構変わった。ばたばたっと。
(体感的に)すっごい昔にオーダーしたオリジナルデザイン(と言っても既製品のアレンジの域を出ないのだけど)の製作がローンチされたとか、そうでないとか。
Alembicの話だけど。
ある時点でコンセプトは、33インチ/22フレット/5弦/3PUs/ライトハンドチューナー(ヘッドレスの事ね)/フラッシュストラップボタン(KSmithのスルーネックのみたいなやつ)/バッファーのみのアクティブ、といったところに落ち着いたのだけど、あれをオーダーしたのはそこまで固まる前。
そしていまやそこからも離脱し、多少進化したアイディアに至っているのだけど。
というわけで温故知新な仕様で、まさにこれはAlembicの世界観に触れるための全部載せ的な実験モデルなんだが、そしてもちろん忘れたわけではなくてずっと心にとめておいたのだけど妙にあきらめたような気持ちにすらなっていた、という幻が現実味を見せ始めた、といったところ。
Factory to Customerページでもお馴染み、オール・ココボロ・ボディのクラシコ(アップライトベース)の製作に注力されすぎているための、全社的な遅延ではないかと察したり。
ところがオーダーを受けるまでのレスポンスは早いらしい。
商売があまりお上手でないアレンビック社。
アレンビックは70年代から連綿と続く「シリーズ」ベース(外部電源を用いるもの)をフラッグシップに、現代的に合理化を進めて地上へ舞い降りた電池駆動スルーネック・ライン、そして敢えてプアマンズと言いたいセットネック・ラインの3つのレンジで構成される。(ギターも同様。そしてその外にクラシコがある)。もちろん、どのモデルを選ぼうとも、それを叩き台にフル・カスタムオーダーを受け付けている。全く意味のないことではあるが、あなたが望めばFender Jazzシェイプの楽器をボルトオンでやってくれと言えば、彼らは不承不承でも作る。
これまで実際に所有して現場で使用したのはセットネックのが2本、スルーネックのはショートスケールで1PUのボトムレンジを担う機種。それらをもってしても、十二分にアイデンティティを発揮して魅力なのだが、最近に仕入れたスルーネック・ラインの中間レベルに位置するRogueが、結構なオプションを積んでいる結果と言えど、個人史的にも未体験なゾーンに手招きする実力を秘めていることを知り、ここへきてまたこのブランドを評価したわけだ。
ちょっとは知ったような顔をしていたが、このレベルの楽器はまだ持ったことがなかったのを思い出し、じゃぁあの6弦はどんなことになってしまうのか、ぐっと期待感が増すのを禁じ得ない。往々にして懲りすぎたオーダーが失敗に終わるのは経験済みにしても…。












