サービス2006年04月15日 01時27分37秒

まだまだ続く花見シリーズ(あと3回くらい?)

ガソリンスタンドが、原価上昇と過当競争のあおりによって極限まで減らされた利益と経費のつけは、結局消費者が受けるべきサービスの制限として、全ての当事者が痛み分けのような形となっている。と、きのう思ったわけさ。少しでも安く買いたい消費者心理が価格上昇を拒否するので、提供する側は努力してそれに対応している自然な構図ではあるのだが。でも、もともとそうではなかったよね。何年か前まで、ガソリンスタンドに乗り付けると、イラッシャイマセの掛け声とともに複数のスタッフが駆け寄り、頼みもしないことまでやってくれた挙げ句、最高のスマイルで送り出してくれたものだった。こうした店も、きっとまだあるのだろうけど最近お目にかからない。何がきっかけかというと、おそらくはセルフサービスの認可だろう。それ以後、セルフによる価格破壊に、従来のサービスの提供は耐えきれなくなった。同時に、自家用車を運用するのに、ある意味インフラのひとつとして燃料補給以上の意味を持っていたはずのガソリンスタンドは、卸売り市場のようにそっけないものに変わってしまった。このような変質は、公衆電話が携帯電話によって駆逐されてしまったことを思い出させる。が、やはりそれとは意味も様子も違う。

やはり有限な化石燃料が商売のネタであることの特殊性がからんでいるのではないか。短期的な価格の浮き沈みはあるだろうが、長期的に見れば、やがてなくなる運命のものであれば、価格騰貴は免れまい。緩やかな原価上昇の中での競争。これではなりふり構わず、となってしまうのもやむを得ない。ということでセルフでなければスタンドは生き残れないだろう。問題は、自動車にまつわるいろいろな所用を給油のついでに行うことができない、あるいは身近なプロに気軽に相談ができない、という点だ。自動車用品点も激しい競争の末に淘汰が始まっているようだが、強いところはサービスが充実している。業態は違うが、そのうちそこで給油できるようにならないだろうか。ガソリンは危険物であり、様々な法的規制がかけられているのだろうが、やはり自動車のプロがそばについている状況で提供されるのが一番だと思う。ならば用品店がその役を担えばいいと考えるのだが。

ガスはひと月に180Lほど入れる。これは一般的に見て多い方だと思うが、3円違っても540円の差額。気持ちのいい接客と、自分ではさぼりがちな日常の点検をしてくれるのなら、これくらい支払っても良いと思えるのだが、常連になりたい店が見当たらないのは寂しい。従っていまのところはセルフ専門だ。

余談だがサービスの話のついで。コンビニで買い物すると、よく商品を包んだプラスチックバッグの持ち手をくるっと捻って、こちらに手渡ししようとするよね。あれ嫌い。左手に財布を持って、右手で代金や釣りの受け渡しをし、戻ったお金は財布に入れてポケットにしまうという一連の動作が終了する前に商品を手に持つ余裕はないのだ。こういうの、本部が指導するんだろうな。お客さまがうれしいと思うサービスです、かなんか言って。でなきゃ、ほとんど全てと言っていいコンビニでこれやられるわけないよ。袋いりません、と言うとテープを貼られるのも大嫌い。何の目印だ、それ? レシートあればいいだろう。コンビニは異常に濃いサービスを平然と行い、ぼくの見立てでは、客はそれを甘んじて受けているようだが、社会のルールに思いやりが浸透しているわけではない。扉を通って出ていく時に、前の人は直後にいる次の人に開けておくくらいの気遣いがない。アメリカでそうだったから、背後に人がいれば、自分だったら少しのあいだ戸を支えて待つことなど無意識に行うことだ。けれど後ろからついていって、目の前でぴしゃりと扉が閉じられてしまうのは切ないよね。あと並んでいるレジ待ちの行列のさばき方とかね。手の空いた店員が別のレジで会計をはじめようとする。すかさず列の後ろの方から人が流れていく。そういうのは高速道路の合流よろしく先頭から順番に処理されなければ不公平ではないのか。コンビニは本質的なことをもっといろいろ考えてほしいよ。(だいぶ脱線)

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